プロフィール
総合電機会社で35年間、技術職で働いた後、出身地の関西に戻り5年間キャリアとは無関係の半官半民の住宅管理会社で事務職に在籍。退職し、現在に至る。いつまで生きられるのか分からないが、残りの人生できる限り充実させたいと願っている。40歳代から始まった二つの持病は、現在の私の生活に重くのしかかっている。にもかかわらず、深刻にならないで、のんきにしてられるのは私の長所なのか短所なのか分からない。ただ、このままのんきに暮らしていては、きっと後悔することになるに決まっているので、これからはもっとしっかり考え、日常の出来事を心に刻んでいきたいとぼんやりと思っている。このブログはその一助としたい。
私の持病について
私の持病は、慢性関節リウマチと緑内障である。
慢性関節リウマチは酷いころは、歩くのも支障をきたす状態だったが、現在はリンボックという薬で痛みもほとんど無く過ごすことができる。私のあやふやな記憶では、32,3のころ突然片腕があがらなくなり、数日後回復した後今度は別の片腕が上がらなくなるという症状が何度か繰り返した。これがもしかしてこの病気の初期症状だったのかもしれない。その後左右対称で腕や足の関節が痛むことがしばしばあったが、数日で回復するのであまり気にしなかった。
ところが38歳に私は潰瘍性大腸炎になり、3か月入院となった。この病気は自己免疫疾患に起因するもので慢性関節リウマチと同根である。治療のため大量のステロイドが投与されて大腸炎は治まったが、ステロイドが停止されると今度はリウマチの症状がはっきりと表れだした。
整形外科で、ステロイド系鎮痛剤の処方を受け、痛みを抑えていたが、ステロイドの長期服用に不安を感じて通院をやめて、漢方の薬や自然免疫療法にしばらく試してみた。ところが、私の場合これがいけなかった。つまり、漢方や自然免疫療法はリウマチの進行を抑えるのに効果をもたらさなかったため、歩くのも支障をきたす状態に至ったのだ。
その後、リウマチの専門病院での治療に戻ったのだが、病状の上下を繰り返した。2011年、東北で震災があり、転機が訪れた。当時、横浜で働いていたのだが、震災の影響で電力不足による出勤制限となったことで、リウマチの治療に大きな効果がある生化学製剤を始めることができた。初めて生化学製剤を使う場合、数週間数日おきに通院することになるので、薬代が高価なこともありなかなか始めるきになれなかったが、思い切って始めることができた。現在はリンボックという薬を使用しているがこれに至る経緯はブログで書いてゆきたいと思う 。
もう一つの持病は緑内障である。リウマチは、現在、日常生活に大きな支障もないけれど、こちらの方は深刻だ。かろうじて白杖を使わず歩行しているが、広い道路では信号の確認に時間がかかるし、人の顔の認識ができない。紙の書類は判読に時間がかかるので読み上げアプリに頼っている。(2023年5月現在) しかも現在も進行中である。
子供のころから近視で30代まで徐々に度数が上がり強度の近視になった。見え辛さで視神経に負担がかかり緑内障へと進んで行ったのだろう。58歳で障害等級5級、65歳で2級となり障害年金の支給を受けることとなった。ブログではこれらの経緯について書いてゆきたいと思っている。
このブログで書きたい事
二つの持病について、しっかり向き合うためのツールとしてこのブログを使う。持病について調べたり、過去を振り返ってみたりして、そうすれば何かもやもやした気持ちがすっきりすることもあるかもしれない。
本を読みたい。目が悪かったので本を長時間読むことができなかったような気がする。視覚障害者となりサピエ図書館から無料で大量の本を提供されることとなり、目の負担を負わずに、耳で読めることになった。耳の読書は受け身なので右から左に音が通ってゆきがちになる。それをできるだけ防ぎたく、耳に入った言葉をブログに記録すれば良さそう。
視覚障害者として情報アクセス能力を高めたい。理想はこれを極めたい。盲目のプログラマーなんてかっこよすぎる。自分には無理だろうけれども、それを目指すだけでも楽しい。このブログがその表現の場になれば。
2023年6月