緑内障について

私の持病 緑内障

昨日、眼科に通院し視野検査を受けました。結果左は現状維持、右は、ほとんど視野が出ていないということでした。左は現状維持といっても、残っている視野は数パーセントです。ただ、視力検査をすると、0.5とか0.6とか出ていて、わずかに残された視野から検査表をのぞきみているようです。担当してくださっている眼科医もあきれていました。こういう状態にもかかわらず、私は大したショックもなく、のほほんとしていられるのは、私の緑内障の進行の速度の緩やかさにあります。緑内障が少しづつ進行し日常生活が不便になってくるのですが、進行速度がゆっくりだと不便さに対応してくるので危機意識が薄れて行くのでしょう。これも悪くはないのですが、進行を放置してしまうことはとても危険なことです。将来、医療技術が進んで、緑内障は治療して改善可能になるかもしれませんが、それに望みをかけるほど近い将来ではなさそうなので、現状維持に努力しなければなりません。私は過去の反省の上に立って、現状維持のためのあらゆる努力を残された時間してゆきたいです。

病歴

子供の頃

私は小学5年生のころ学校の健康検査で仮性近視と言われて、近所の眼科で治療を受けたことを記憶しています。治療で視力は回復したようですが、またすぐに悪くなり、中学2、3年の頃には、眼鏡をかけなければ黒板の字が読みにくくなっていました。

その頃、私は大変恥ずかしがり屋でなかなか眼鏡を学校でかけることが出来ず、目を細めて板書を見つめてノートを取っていました。でも近視がどんどん進んでくるので、意を決して中学3年の夏休み明けに眼鏡生活に突入しました。

急激に近視が進むのは遺伝であることは間違いありません。父は強度の乱視、母は強度の近視、母方の祖父も度の強い眼鏡をかけていました。眼鏡をかけるようになってからも目を細めて見え難さをごまかすという習慣は、すぐに度が進み眼鏡が合わなくなるため、続きました。すぐに度が合わなくなり、高価な眼鏡を買い直してほしいと言えずに我慢することが多かったです。見え難いものを無理してみることは、大変目にストレスを与えます。この習慣が後々緑内障へと繋がって行ったのでしょう。

近視は大人になってからも進行し続けたし、乱視も加わっ、眼鏡できっちりと矯正できないくらい進みました。設計の仕事をしていたので、目の負担も大きく常態的に目の疲れを感じていました。

発症

そして自分が緑内障であると分かったのは、40代の後半だったと思います。どういう理由か思い出せないのですが眼科に行った時視野検査をすることになって、結構悪い結果が出ました。ただ自覚症状が全くなかったのですぐに治療を始めずにいましたが、左目と右目の見え方に違和感を感じ始め、総合病院の眼科に通院を始めました。左目で書類を見ようとすると霞みを感じたのですが、中心視野に欠けたところがあることが原因でした。右目には霞はないのですが検査によると中心部の視野は残っているが、左目より状態は深刻だと言われました。

緑内障では皆さんそうだと思うのですが、視野が欠けると欠けた部分が真暗ということではなく霞がかかったようになり、像が薄くなってゆきます。緑内障が進むに従って薄くなります。人が物を見るとき両目で補完するので少々視野欠損があっても気づかないことが多いのですが、片目で物を見ると視野の異常を感じることができます。

緑内障の進行

治療は眼圧を下げる目薬を3、4種類使い1日それぞれ1,2回点眼するのですが、自覚症状が少ない時にこれを続けるのは、ちょっと大変です。私の場合、毎日のノルマの半分もできていなかったように思います。定期的な通院日をみすしたりしたこともあり、とうとう先生に注意されてから、点眼をしっかり守るようになりました。ただ点眼をまもるようになっても緑内障は徐々に進行しました。

私の場合、眼圧は10~15くらいで時々16、17になったりする程度でそれほど高いわけではありません。少しづつ見え辛さが増してきて、それに伴い目の疲労も増してきました。目の疲労と緑内障との関係は証明されていないのでしょうか、先生に言ってもあまり関係ないとしか言われませんでした。

進行が止まらないこともあり、50歳になってもっと検査や治療を試してみようと思い大学病院に転院させてもらいました。入院して眼圧の日内変動をみたり、最新の機器で視野を検査してもらったりしました。レーザー手術もしました。

最後に緑内障手術をすすめられましたが、仕事があるのでリスクを考えて踏み切れませんでした。その頃は50代後半でまだまだ働かなくてはならないので、その判断はしょうがなかったかもしれませんが、思い切って手術に踏み切っていればその後の緑内障の進行を遅らせることができたかもしれません。

大学病院にはロービジョン科もあって時々相談にのってもらいました。私はそこで見え辛さからくる目の疲れや緊張を解消する方法とか教えて貰いたかったのですが、ロービジョン科ではそういうことを教えてくれず、見え辛さを軽減する機器や視覚障害者のための公共サポート機関についての情報を提供してもらいました。それはそれで後日大変役に立ったのですが。

転職と手術

結局、私は58歳で公私の事情があってで設計の仕事をやめ、横浜から郷里の大阪に戻って再就職をするのですが、その際、ロービジョン科を通して障害者手帳(5級)を取得しました。そしてその手帳を使って障害者枠で職を探すことにしました。視覚障害者という枠で探せば、目の負担が少ない仕事が見つけやすいのではと思いました。自分のキャリアに関連した仕事を中心に探し始めたのですが、年齢的なこともあり、なかなか採用までには至らず、最終的に決まったのは、大阪府内の公共住宅を管理運用をする半官半民の会社で嘱託で働くことになりました。就活期間は約8か月でした。もし決まらなければ、神戸の視覚障害者自立支援センター3年間通い、あんま・マッサージの資格を取ることにしていました。3年後、新型ウィルスが流行することを思えば、マッサージ師の職を得ることは難しかったと思います。

採用された会社での仕事は、パソコンでの事務作業が主で、紙書類の作業も少しありますが、領収書、請求書等の短いテキスト書類がほとんどで、苦手な長文の書類はほとんど有りませんでした。当時は紙書類の短いテキストなら読めたし、パソコンの文字は少し大きめにすれば大丈夫でした。スクリーンリーダーを使いだしたのは、2年後からでした。スクリーンリーダーは神戸市内にある視覚障害者のためのNPOで教えて貰いました。その他スマホのアクセシビリティや視覚支援アプリを紹介してもらい使い始めました。

当時、通院していた眼科は大阪市内の総合病院で、評判の眼科医が在籍されているところでした。私の担当医はその先生ではなかったのですが、検査や診察は前の大学病院と変わらず大変丁寧で信頼出来ました。2年くらい緑内障の進行もあまり無かったみたいだったので、通いやすい近くの開業医のクリニックに転院しました。ところが検査や診察が今まで通院していた総合病院に比べて簡易的で不安を感じました。視覚障碍者サポートのNPOで勧められた遮光眼鏡の購入補助申請の診断書をお願いしたところ、「必要ないから書けない」と言われたり、高額の 目のサプリを勧められたりしてすっかり信頼をもてなくなりました。以前、遮光眼鏡については大学病院でも勧められたこともあったので、ちょっとびっくりしました。結局あとで気が変ったのか、診断書を書くと電話をもらったのですが….. 1年くらいで口実を作って、元の大阪市内の病院に戻らせてもらいました。

病院を戻してもらって、視野検査をすると転院前に比べてかなり悪くなっていました。クリニックでも同じ目薬を使っていたので、何か治療に問題があったとは考えにくいのですが、クリニックの定期検査ではいつも緑内障の進行は無いと言われていたので、定期検査が大雑把で進行が分からなかったものと思われます。クリニックに転院する前に大阪から神戸に転居したことで、生活サイクルが変って、何か緑内障を悪化させる要因ができたのでしょう。

大阪市内の病院に戻ってからも、徐々に視野は悪化して、レーザー治療や白内障手術をすることになりました。白内障は手術が必要なほどでは無かったのですが、クリアにすることで見えやすくなることもあるのでやることになりました。私の場合、強度の近視と乱視であったため、白内障手術で人口レンズが入り近視乱視が大幅に改善したので、重い眼鏡から軽い眼鏡になりとても快適になりました。

緑内障の手術は視野悪化のリスクがあるので、重度の緑内障の私には施術は難しいと言われていました。しかし、進行を止めるために、視野がほとんど残ってなく進行が早い右目をやってみてはどうかと言われました。左目は右目に比べ進行が遅く視野が残っており、手術して、視野の劣化があると生活に困ることになるので両眼を同時にやるのはやめた方が良いのではという意見でした。私も納得した上で手術をしてもらいました。手術は白内障手術に比べ時間も長く(1時間程度)、しかも局部麻酔なので、ちょっとしんどかったです。痛みは数日間続き次第に弱まってきますが、目の違和感.は数週間続きました。その分目への負担が重く、視野劣化のリスクについても実感しました。ただ、手術によって手術前、15~10程度だった右目の眼圧は、8~6程度に下がりました。手術後1年以上経過しましたが、進行が止まったかどうかは、はっきりしていません。手術前と比べ見え方の変化は、やや見え難いような気もするというのが実感です。最近先生から左目も手術もどうですかと言われて考えているところです。リスクについて納得しないまま手術はできません。

今後について

昨年私は障害者手帳の等級を5級から2級へ更新してもらいました。きっかけは年金事務所に老齢年金の受給手続きの相談に行ったところ社労士の相談員の方に緑内障が進んでいて2級で更新できれば障害者年金で受給した方が有利になることがあると言われたからでした。2級で更新できるとは思っていなかったのですが、診断書作成お願いした担当医から多分大丈夫ですと言われ、そこまで悪くなったのかと思い知らされました。

緑内障手術が、緑内障治療の終着点なのでしょうか。確かに手術をすれば、煩わしい点眼から解放されることでしょう。ただ、進行が止まることが確約されているわけではありません。なぜ、私は緑内障をここまで進行させてしまったのかを考えると、自分の生活習慣にあること思っています。最初に書きましたが、強度の近視による視覚へのストレスで生活習慣がゆがめられてきたように思います。例えば、呼吸です。見え辛さでストレスを感じているとき、大抵私は無呼吸になっているか、浅い呼吸になっていることを最近気が付きました。深呼吸はが眼圧や血圧を下げる効果を持つことは良く知られています。見え難さによるストレスが、さらに目を見え辛くして行くという負の連鎖が浮かんできます。手術もまたその負の連鎖を断ち切る手段と考えつつ、悪習慣を改善する努力をしてゆかなければならないと思うのです。

タイトルとURLをコピーしました